竹村 一八
1986.12.05生まれ A型
趣味:アニメ、コスプレ

生い立ち

僕は滋賀県の田舎、日野町という場所で生まれ育ちました。

4:42分。
縁起の悪い時間に生まれしまい、気をきかせた看護師さんが出生時間を4:41分に変更。
僕の人生の始まりはそんな感じでした。

竹村(2歳) ウサギに指を食いちぎられる

2歳?3歳?くらいの時、
小学校で飼っていたウサギにエサをあげていたところ指を食いちぎられる。

ばあちゃんの話では、
指から血を流しながらも一切泣かず笑っていたんだとか。(この頃から狂っていたのですね…)

おかげで今でも少しだけ指の先がない。
そのせいで美容師の国家試験なんかもマジで苦労した。

大体のことは笑って許せますが、ウサちゃん、テメーはダメだ!

竹村(12歳) 絶賛「人見知り」になる

中学校に入学。

全校生徒50人ほどの小学校から全校生徒1000名にせまる中学校に入学したため、めでたく人見知りをこじらせる。

(小学校は後に廃校、現在はアニメの聖地や映画のロケ現場としてちょっと有名になっている)

入学直後にはホームルームで担任に「いっぱち」と呼ばれる事件が発生。
(本名:かずや『一八』)
「クラスにいっぱち君て変な名前の子がおる件」と話題になり、一瞬だけ時の人に。
(どこぞのラノベタイトルか何かな?)

現在でもほとんどの人が「いっぱち君」または「はち君」と呼んでくれます。
よろしくお願いします。

竹村(17歳) 将来を決める

美容師を目指すと決めたのもこの頃。
きっかけは先輩に憧れて初めてかけたパーマ。

すると「自分もパーマしたい」という友達が続出。
そんな友達にドラッグストアでパーマ液を買って、見よう見まねでパーマをしてあげてたんですよ。そしたら、めっちゃ喜んでくれて。

自分のしたことで友達がカッコよくなって喜んでくれて、
なんか嬉しいな~って。

そんなことがきっかけでした。

竹村(18歳) 人生初の○○を経験した美容学校時代

はじめての大都会、はじめての一人暮らし、はじめてのモテ期…笑

人生ではじめて挫折というか、悔しさを味わったのが美容学生時代。

自分でいうのもなんですけど、それまでは割りと何でもできる子だったんですよ。
走るのも学校では一番早かったし、スポーツ全般得意だったし、勉強も5教科490点台とかだったし。

でも、美容技術は甘くなかった。

「自分、才能ないのかな?」と思うくらい、上には上がいて、
どれだけ練習しても勝てないって思い知らされた2年間。

でも素晴らしい友達にも恵まれました。

竹村(20歳) ブラックな美容師人生スタート

労働基準法・コンプライアンス…
ガン無視の当時の美容師業界。

入社から3年間、朝8:30に出社して、翌午前3:00前に帰宅するという生活を送る。

先輩「12月は売上記録を更新したいから無休でやるわ!」
(オメーもやるだろ?)無言の圧力

12月30日、家に帰るなり玄関で靴も脱がずそのまま寝てた時は、さすがにこのままじゃ死んじゃうと思いました。笑

…でもこの頃は夢に向かっていくらでも頑張れたんですよね。

結果的にブラック企業も経験できて良かったと思っている自分もいるんですよ。

残業手当?有給休暇? 何それ美味しいの??

竹村(24歳) 独立

たぶん同年代では一番早く独立しました。

共同経営ではありましたが、経営者としての人生が始まります。

経営者になっての感想は「とにかく大変!」
上手くいったら誰かのおかげ、失敗は全部自分のせい。
責任やプレッシャーと引き換えに得ることのできる充実感と達成感。

自分の未熟さゆえにお客様を怒らせてしまったこともあったし、
スタッフを泣かせてしまったことも。

27歳の時には大好きなばあちゃんの髪を切ってあげるという目標を達成。
あの時のばあちゃんの嬉しそうな顔は生涯忘れることはありません。

竹村(29歳) 美容師辞めたってよ!

実は29歳で一度美容師を辞めているんです。

WHY?

WEB関係の会社を立ち上げたんです!

WHY?? WHY???

実は以前から美容師ブログをやっていたんですが、
そのブログが100万人くらいの人に読まれるブログに育っていて…

それで、はじめて「わが社のシャンプーをブログで紹介してもらえないでしょうか?」ってメーカーから依頼が来て、使ってみて良かったんで載せたんですよ。

そしたらビックリするくらいたくさんの人が買ってくれて…
インターネットってスゲー!ってなったんです。

(この時のシャンプーが今の美容院Rでも取り扱っているクイーンズバスルームである)

そこからはあれよあれよで、ブログの規模も売上も大きくなって。

今まで何をやっても一番になれなかった美容師が、WEBの世界でスポットライトを浴びた瞬間でした。

それと同時に「色々な理由で直接美容師には相談できない人がいる」という事実を知ることになります。

今でこそインターネットには美容の情報も溢れていますが、その当時、欲しい情報を探してもなかなか見つからないと嘆いている人が大勢いたんです。

だからこそ「髪の悩みならこのサービスを使えば全て解決する」というWEBサービスを作るため、一旦美容師を辞める決断をしました。

が!

竹村(31歳) 2年で現場に舞い戻る

いや、今「辞めた」って言ったそばから復帰早すぎない!?笑

今の美容院Rを出店したとともにサロンへも舞い戻ってきました。

理由は2つ。

  1. 2人で一緒にサロンをするという夫婦の夢を叶えるため
  2. サロンの現場を知らないと良い情報発信をできないと思った

この2つが決め手になり、31歳から美容師とWEB関連の2足のわらじを履くことに。
(WEBの会社は順調に大きくなり、スタッフに任せられることも多くなっていた)

…しかし

竹村(32歳) 盛大にだまされる

事件が起こったのは32歳の時。
簡単にいうと詐欺にあいました。

額は高級外車(赤くて馬のロゴがはいったやつ)が買えるくらいです。

しかも、相手が会社の身内だったんですよ。

マジでショックでした。
誰も信じられなくなりました。
仕事にも影響が出て取引先にも迷惑をかけてしまいました。

(テレビドラマの中の話だと思ってるような出来事でも、突然自分に降りかかってくることがあります。みなさん本当に気をつけてください)

会社の売り上げが落ちると、今まで竹村さん竹村さんと言ってくれた人たちが手の平を返すようにいなくなっていきました。
この時には完全に人間不信でした。
その結果、WEBの会社を解散することに決めます。

そこから1年間、何もせずに過ごしました。
本当に何もせずです。
朝起きて、ボーっとして、昼寝して、夜ご飯食べて、また寝る。
全ての気力を失っていました。

そんな自分を救ってくれたのは・・・

もっと上に行きたくてずっと背伸びしてました。
必死に上を目指し、足元をすくわれ、転げ落ちました。

約1年間を無気力に過ごし、
その結果、「何もかもなくなった」と感じていましたーーーー

「そんなことない!あなたの価値は今も昔も何も変わってない!!」

僕が世界で一番尊敬する人がそう言ってくれたんです。

人生に絶望した時に支えてくれた人達がいました。
本当に大切なものが何かを気付かせてくれた人達がいました。
その人たちがいてくれて、その人たちに出会えて、僕自身本当に良かったと思えました。

お金やモノではない大事なものをたくさんいただきました。
目には見えないけど、たしかにそこにあると感じれる愛情をいただきました。

今度は僕が誰かを支える存在になりたい。

そんな想いで今を生きています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

私、竹村はこんな人間です。

人見知りに加えて頑固者です。
変わりモノとも言われますし、34歳にしては馬鹿なところもあると思います。

ですが、人の【心】の分かる人間だと思っています。

こんな私で良ければ、みなさん仲良くしてくださいね。

美容師 竹村一八